佐藤家の子育てブログ

子供の虐待をなくしたい

書くことも心苦しいけど教育家としては避けて通れない問題。

この度の子供の虐待についてです。
本当になくしていきたい社会問題。
私の見解を書いていきます。
 
 
ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんからきょうよりかもっともっとあしたはできるようにするから 
もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします
 ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと 
これまでまいにちやってきたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか 
あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします。
 
 
正直、なかなか冷静になれない私がいます。苦しくて怒りが込み上げます。
これは5歳の子供が書く内容でしょうか?
この子は朝4時に起き平仮名の練習をさせられていたそうです。
大人は子供への過度な押し付け教育をしていたようですが、この子は連れ子。
 
教育という名のイジメだとも受け取れます。
朝4時に起こさせ平仮名の勉強をさせ、昼寝をしたら暴行をする。
暴行したいがために無理難題を押し付けているのではないかとも考えられるのです。
 
虐待は連れ子に多い。男性の子供にはこんな仕打ちはしていない。
今回の虐待事件について考えられることを書いていますがストレスの問題などではなく、男性の人間力のなさが問題であると考えています。
 
私たちは虐待まではいきませんが同じような思考に陥ることも考えられます。
今回の虐待を事例に多くの大人の気づきになるように書きましたのでお読みください。 
 
 
「パパとママにいわれなくても しっかりとじぶんからきょうよりかもっとあしたはできるようにするから・・・」
 
 
子供は子供です。何度も同じ失敗をしながら成長していくのです。
 
大人はどこまで完璧を求めるのか?
育てる側の大人は完璧な人間なのか?
そもそも大人が今日よりもできるように成長してきたなら虐待をしないはず。
大人ができていないことを子供に押し付けているのではないか。
言行一致ではなく自分の欲求を満たすのみの幼稚な大人ではないのか・・・。
 
 
「これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだからやめる・・・」
 
 
子供は遊ぶものです。
 
「なぜ子供は遊ぶのか」を知っていますか?
 
脳は「自分は何者か?」を探すようにできています。
子供は五感を使い遊ぶ中で情報収集をしながら脳を鍛えます。
 
なんのためにか?
 
将来、「自分のチカラを使い何かに貢献するため」にです。
だから人は貢献することに喜びを感じ、幸せを感じるのです。
 
 
自分の人生を全うするため。
自分の役割を持って社会に貢献するチカラを育むために遊ぶ。
 
 
また、遊びを通して脳と身体も鍛えられます。
遊びとは少し難しいことにチャレンジすること。
 
 
自分のレベルよりも難しいことにチャレンジするのは成長意欲があるからです。
子供の身体はご飯を食べて成長していきます、同時に脳も成長したがるのです。
 
 
自分のレベルを超えることにチャレンジすれば失敗するのは当たり前じゃないですか?
 
 
失敗をダメなことだと大人が学んでいれば失敗を認めなくなる。
失敗は成長するためにチャレンジした結果なのです。
そして失敗を通して学び自分のレベルを上げ成長していくのです。
 
成功と失敗の落差があるからこそ脳が鍛えられます。
 
大人が遊びをただの遊びと思っているから、遊びが悪いものだと思っている。
大人が失敗を悪いものだと思っているから、失敗すると怒る。
 

大人こそ遊びや失敗が人生の土台になることを知ってほしい。
 
 
大人こそ育成法や人間学を学ぶべきじゃないでしょうか。
 
 
また、私たち人間は「誰もが愛情を持っている」と思われがちです。
しかし、愛情を司る脳の部位が弱い方がいるのも事実。
誰でも愛を持ち人と接することができるはずと思うのは間違いです。
 
 
自分のメリットや合理性を追求するサイコパスと言われる方たちもいます。
強かに愛情深いように見せかけますが表面上のこと。
自分自身が冷たいことをわかっているから愛情面にこだわりPRしていく。
ですが心から相手のことを想って動くのではなく自分にメリットがあるから動いています。
人の心を動かすことに長けていますがそこには人の慈しみや思いやりはないのです。
 
 
つまり、「愛する」とは能力と言えるのです。
誰もが備わっていることではなく身に付けること。
女性は母性本能があるとも言われていますが愛情は脳の部位の強弱によります。
女性でも中には愛とはよくわからないという方もいます。
 
 
「愛する」とは愛情を受ける体験をするから身に付けられることのなのです。
愛情を司る部位は右脳にあります。
右脳は感覚ですから「体験が必要」なのです。
左脳は言語やメカニズムですから勉強で学べますが、愛情は体験しないとわからないのです。
 
 
幼少期にママ、パパ、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人から声をかけられ、大事にされること。
身体で体験して愛を学び、愛情を司る脳の部位を鍛えていく必要がある。

私たちは知っておかないといけない。
 
愛とは学ぶことなのだと。
 
 
愛は体験で学ぶゆえ、虐待で育てられた人は虐待を繰り返してしまいます。
それが愛情表現になってしまうのです。
 
愛がわからないからこそ同じことをしてしまう。
人間にとって愛というのは幸せに生きるために必要なこと。
親ができなければ、第三者でも愛は伝えられます。誰でも愛で救える可能性があるのです。
 
 
私たちが誰もが愛情深い、愛情があるはずと思っていると虐待を見抜けなくなるかもしれません。
虐待をなくしたいからみなさんに伝えておきたいのです。
 
 
余談になりますが私が学生の時にインドへ一人旅に行った時のこと。
自分のことを5歳という男の子がいました。
旅をしている私を見つけ「タバコをくれ」と言ってきました。
私はタバコを持っていませんでしたが、数分後にどこかの誰かにもらってきた模様。
男の子がタバコをふかしていました。
その子は私が話しかけ笑いかけても笑顔ができませんでした・・・。

近くにいた10歳くらいの女の子がいました。
私は癖で笑いながら話します。(笑顔で話すという表現の方がわかりやすいかも)
女の子は私の表情のマネをしようとしていました。
しかし、笑顔ができないのです。
私が旅をした時はスラム街もあり、まだまだ発展途上の国でした。
スラム街の子供は笑ったことがない環境で育っていました。
 
 
実は「笑顔も学ぶことでできるようになる」のです。
 
 
愛情や笑顔は大人の愛から学ぶということ。
 
 
しかし、愛情があっても自分をコントロールできなくなることがあります。
 
 
それがストレス。
 
 
ストレスのコントロール法を身に付けておかないと愛情よりも自分を優先するようになります。
 
ストレスのコントロールは我慢することではありません。
人によって我慢強さの強弱はあるものですがストレスに対しての器が大きいか小さいかだけです。
ストレスを解消せずに我慢を貯めていけばいくほど決壊したときのダメージが大きい。
我慢強い人ほど気づかない内に大病になりやすくリスクが高い。
生きる上では「我慢強さよりも解消法の方が重要」なのです。
 
 
大人がストレスコントロールの必要性や解消法を知らないと子育てはもちろん、仕事も辛いものになります。
 
 
人の脳のタイプによってストレス解消法は違います。
ここでタイプごとの解消法まで出すと膨大な量になるので書きませんが、本気で知りたい方は私にご連絡ください。教えます。
 
 
人は経済的な困窮や社会からの孤立によりストレスが暴発していきます。
また、同じ考えをもたないと受け入れられないような閉鎖的なコミュニティでも強烈なストレスで暴発します。
 
 
現代は便利で快適になりました。しかし、ストレスは増えています。
私たち子育て層は忙しい。
昔ならば自分の親に子育てを任せられましたが今は難しい家庭がほとんどです。
仕事や地域行事やPTA行事に追われる世代です。
 
私たち親世代のストレスになる環境であることも事実。
そのことも認めないといけません。
 
そして、「人はストレスにより愛よりも自分の生命を優先すること」もわかっておくこと。
 
虐待問題を考えていくためには社会ストレスについても考える必要があるのです。
 
 
そうは言っても、今回の事件はストレスで片付けられません。
大人のストレスコントロール力がないから事件が起こった。そうでもありません。
まだまだ根深い問題があります。
 
この機会に私たちがもっと深く考えるキッカケにすべきなのです。
 
 
育てるというのは本能ではありません。
育てるというのは「人間の能力」です。
 
 
現代は育てるチカラが身に付きにくいことも考えられます。
 
私への相談で「育て方がわからない」というのはよくある相談の一つ。
 
便利で快適になった社会ですがデメリットは体験の損失。
 
社会が体験不足の大人を生み出しているのです。
 
体験不足は生きるための情報不足です。
 
どうすれば良いのかという情報がないことで自分の知っている方法に固執します。
 
 
今回の事件は大人がか弱い子供に極悪なイジメをしています。
 
 
教育という名の虐待ですが、もしかすると他の方法の情報を持っていなかったのかもしれません。
 
一言で言えば、育てる能力がない大人が育てたということですが、体験不足は愛情もわからないということにもつながりますので体験不足社会への対応を考えていくべきだと思います。
 
 
家庭の問題だけではなく地域のあり方も問うていきたい。
 
行政の対応も色々と言われますが、さらに身近な住民同士のコミュニティの必要性。
 
忙しい親だからこそ困った時に相談できる住民コミュニティの存在。
 
行政始動ではなく住民同士で解決し合えるまち。
 
私は大分県臼杵市に住んでいますが、私が住む地区では住民の自治があります。
 
地域の方たちが子供を見守り、子供を育ててくれます。
 
都会に住む方たちは地域から学ぶ点があると思います。
 
 
虐待する多くの親に見られる傾向はコミュニティに属さないということ。
 
 
ですので、地域コミュニティがあったとしても参画しないことも考えられます。
 
実はこのことも体験不足が根にあります。
 
人は他者とスキンシップをとることで「オキシトシン」というホルモンを分泌します。
 
地域の人たちから育てられたことがあれば地域コミュニティの参画は幸福感につながることだと体感でわかります。
 
 
だから、積極的に地域行事にも参画しやすくなる。しかし、地域で育てられない環境であれば子供たちは地域の人とのスキンシップをとる幸福感を知らないまま育つでしょう。
 
結局は、孤立していくことを選ぶようになるかもしれない。
 
地域にいる第三者との良質なスキンシップは子供の未来のためにも必要なことなのです。
 
愛情など右脳に関することは体験しないと理解できないことです。
 
家庭だけではなく、地域にも目を向けていくことが私たち大人のあり方ではないでしょうか。
 
 
子供の虐待の報道はこれからも目にすることがあるでしょう。
 
その度に「なんとかできないか」と、もどかしい気持ちになります。
 
私たち一人一人がまずは我が子に愛情をかけていくことで悲しい事件は減少させていけます。
 
テレビやネットの遠く悲しい事件ではなく、私たちが子供を守る意思を持ちたい。
 
ママたちの人に言えぬ辛さも理解し認めていくことも必要でしょう。
 
 
私ができることは人材育成です。
 
本日も企業の経営者さんが学びに来られましたので、この虐待問題を考えてもらいました。
 
企業からのアプローチで解決できる問題もあるはず。
 
私だからこそできることは家庭、地域、企業のコミュニティの育てるチカラを高めること。
仕事を通して社会問題の解決につなげていきたいと思います。
 
それが私ができる虐待された子供たちへの供養となると信じています。
 
一般社団法人ひとねるアカデミー
代表理事 佐藤陽平

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